結婚情報サービスの歴史について

江戸時代中期には、すでに「慶安」と呼ばれる結婚を斡旋する職業的集団が存在していました。

その名前の由来は、大和慶安という江戸木挽町の医師が、医療よりも縁結びに力を入れていたことからきています。

人脈も豊富でインテリであった町医者は、地域の信望も厚く、縁結びにふさわしい存在だったようです。

明治時代に入ると、幕末から西南の役までの相次ぐ戦いで若い男性が減少し、地方から都会へ人が流れ込んできた時代背景も相まって、結婚斡旋業が繁盛しました。

慶安では当初、雇用斡旋も行っていましたが、利益が薄かったため、次第に結婚斡旋に重点を置くようになりました。本格的な結婚相談所の第一号は明治13年に誕生しました。

大阪の山口吉衛門が当局から許可を得て、「養子女婿嫁家妻妾縁組仲媒取扱所」という看板を掲げたのが最初です。

この看板に「妾」という文字が含まれているのは、当時の風潮を反映しているといえます。

現在の日本における結婚情報サービスのビジネスモデルの起源は、当時の西ドイツで開発された「アルトマンシステム」に端を発しています。

第二次世界大戦により国土のほとんどが焦土と化し、労働力も失われた西ドイツでは、多くの移民労働者に依存していましたが、1960年代に奇跡の高度成長を実現し、復興を果たしました。

しかし、同時期に「離婚の急増」や「出生率の急激な低下」といった問題が顕在化し、新しい社会のあり方を模索する必要が生じました。

政府は「良きドイツは、良きドイツ国民が作る。良きドイツ国民は良き夫婦から生まれる。」という仮説を立て、具体的には官主導で「良き夫婦」となる結婚相手を科学的手法で見つけることができるかどうかを研究しました。

この研究は「適合性理論」で知られるハンス・ユルゲンス教授などの研究者に委託され、研究成果を民間において事業化したのが「アルトマンシステム」です。

アルトマンシステム社は、その近代的かつ合理的なシステムが他国でも有効であるかどうかを知るため、海外進出を検討しました。

進出先として選ばれたのが、日本でした。日本も同様に戦後の焦土から復興し、奇跡の高度成長を遂げた国であり、気質的にもゲルマン民族と似た実直さと勤勉さを持っていました。

1970年代中頃、アルトマンシステム社は日本にマーケットリサーチのために進出し、結婚はその社会の気候や風土に大きく影響されるため、日本の風土や文化にマッチさせるための改善作業に二年半を費やしました。

この時、アルトマンシステムを日本において「結婚情報サービス」と総称し、初めてこの呼称が使われました。

このシステムの特徴は、入会した会員の膨大な登録情報をコンピュータシステムで管理・分析し、マッチメーキング(適合性判断)を行う点にあります。

その結果、最も適合するパートナーの情報をデータとして紹介するという仕組みです。

この合理的かつ科学的なアプローチは、結婚相手を探す新しい方法として日本でも広まり、結婚情報サービスという業態が確立されていきました。

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